
いいねの呪縛を外す方法──数字が自分の価値だと思っていた私へ
数字に支配された朝
通知が3件。
朝起きて、目が完全に開く前にスマホに手が伸びる。ロック画面に並ぶ数字を確認して、それが昨日の投稿についたいいねの数だったとき、その日一日の気分がなんとなく決まってしまう。
50を超えていたら、ちょっと安心する。30を下回っていたら、「あれ、つまらなかったかな」と考え始める。10以下なんて日には、投稿を消そうかどうか本気で悩む。写真のフィルターが悪かったのか、投稿する時間帯が間違っていたのか、それともシンプルに「自分の日常がつまらないだけ」なのか。ぐるぐると考えが止まらなくなる。
こういう朝を、何年も繰り返してきませんでしたか?
2025年にリモラボが女性753名を対象に実施した調査によると、約7割の女性が「SNSのいいねの数を自分の価値だと感じている」といいます。そしてLINEリサーチの調査では、Z世代の約72%がSNSでの評価が自分の気分に影響すると回答しています。 一方でSHIBUYA109 lab.の2024年調査では、Z世代の57.9%が「承認欲求が高い人と思われたくない」と答えている。つまり、「いいねが死ぬほど気になるのに、それを認めたくない」という矛盾の中で、多くの若者が揺れているんです。
7割。つまり、画面の向こう側にいるあなたも、たぶん同じ朝を過ごしている。
でもね、この記事は「SNSをやめなさい」なんて説教をするために書いているんじゃありません。ただ、あなたの価値がいいねの数では決して決まらないこと、そしてそう感じてしまうのにはちゃんとした「構造的な理由」があること。それだけを伝えたくて、今日はこの文章を書いています。(※今の時代特有の息苦しさについては 名前のつかない不調の正体 もぜひ読んでみてください)
本当に欲しいもの
ここで一つ、自分に聞いてみてほしいんです。
いいねが100ついたとき、本当に嬉しかったのはどの瞬間だったでしょう。通知が鳴った瞬間か、それとも翌朝その数字をもう一度確認したときか。
たぶん、どちらの喜びも長くは続かなかったはずです。
脳科学的に言えば、これはドーパミンの仕業で、SNSの通知が引き起こす快感は麻薬的な即効性がある代わりに、持続しません。だから次の投稿、次のいいね、次の承認を求める。永遠に満たされない杯に水を注ぎ続けるような構造になっています。
SNSを完全にやめた経験をnoteに綴っていた女性がいました。彼女は1日3時間以上をSNSに費やし、自分自身を「いいねドーパミン中毒」だと表現していました。「見れば見るほど孤独感が増していった」と。SNSで無数の人とつながっているはずなのに、目の前の現実の方がどんどん薄くなっていく感覚。
この感覚に覚えがある人は、きっと少なくないはずです。
博報堂生活総合研究所が2025年に行った調査では、15歳から39歳の約5割が「SNSでの反応を維持することに義務感や疲れを感じている」と報告されています。かつては純粋な喜びだったはずのいいねが、いつの間にか「こなさなければならないノルマ」に変わっている。
承認の渇きの正体
いいねを求めてしまう自分を「承認欲求が強い」と片付けるのは簡単です。でも、もう少しだけ深く潜ってみたい。 承認欲求は恥ずかしいものでもなければ、克服すべき弱点でもありません。人間が集団で生きていくために進化の過程で獲得した、生存のためのプログラムです。問題があるとすれば、それをSNSという装置に「全面的に預けてしまった」ことの方にあります。
心理学者のマズローは、人間の欲求を5段階に分けて説明しました。現代の日本に生きる私たちは、食事や睡眠などの生存や安全の欲求は概ね満たされています。だからこそ、承認の欲求が前面に出てくる。それ自体は、まったく自然なことです。
問題は、その承認を「どこから取りに行くか」です。
かつての承認は、家庭や学校や地域の狭いコミュニティの中で、顔の見える関係の中から得るものでした。先生に褒められた、友だちに笑ってもらえた、親に認められた。フィードバックは遅いけれど、一つ一つに確かな体温がこもっていました。
SNSはその構造を根底から変えました。承認がリアルタイムで数値化され、全世界に公開される。早くて、大量で、ただし極めて薄い。そして何より、アルゴリズムという無機質なブラックボックスに支配されています。
駿河台大学の研究者によると、幼少期の親子関係から形成される愛着スタイルが不安定な人は、SNS依存の傾向が高いという分析があります。小さい頃に安定した承認を受け取れなかった経験が、大人になってからの承認の渇きにつながっている可能性があるということです。 また、2024年のMMD研究所の調査では、スマホ所有者の23.4%がスマホ依存を自覚しており、特に10代・20代の女性でその傾向が突出して高い。
つまり、いいねを気にしてしまう自分を責める必要はないんです。それはあなたの弱さではなく、心の歴史が求めている「安全感の表れ」なのだから。
「いいね」という通貨のインフレと無価値化
ここでもう一つ、私たちが薄々気づき始めている残酷な真実について触れておきたいと思います。
それは、「いいね」という承認の通貨が、ここ数年で完全にインフレーションを起こし、本質的な価値を失ってしまったという事実です。
SNSが誕生したばかりの頃、いいねは純粋な「共感」や「好意」の証でした。友達が美味しいご飯を食べている写真を見て、「美味しそうだね」「楽しそうだね」という体温のある感情がそこには乗っていた。 しかし今、私たちが受け取っているいいねのほとんどは、そんな純粋なものではありません。
「既読の代わりの義理のいいね」「後で自分の投稿にもいいねを返してほしいから押す、営業としてのいいね」「AIやBotによる自動化された無機質ないいね」。 今やいいねは、人間同士の心の通い合いではなく、アルゴリズム上で自分のアカウントを有利に立たせるための「ゲーム内通貨」に成り下がってしまいました。
インフルエンサーたちは、いかにユーザーの滞在時間を伸ばし、アルゴリズムに評価されるかというハック(攻略法)ばかりを競い合っている。私たちがそれに巻き込まれ、何時間もかけて写真を加工し、最適なハッシュタグをつけ、最も反応が取れる時間帯に投稿して得た「100のいいね」。 その100という数字の中に、本当にあなたの内面に触れ、あなたの存在そのものを承認してくれた「体温のあるいいね」は、果たしていくつあるでしょうか。
私たちは、いつの間にか「本物の愛情」ではなく、「アルゴリズムからのポイント」を稼ぐための労働をさせられているんです。 そのポイントをいくら稼いでも、私たちの承認欲求が根本的に満たされることは永遠にありません。なぜなら、私たちが本当に欲しかったのは数字ではなく、「そのままのあなたでいいよ」と言ってくれる人間の声だったはずだからです。
比較という毒
いいねの数だけではなく、SNSには自動的に作動する「比較装置」が仕込まれています。
タイムラインをスクロールすると、同い年の子がバリ島で撮った美しい写真が流れてくる。大学の同期がキャリアアップした報告をしている。元同僚が結婚式の写真を上げている。 別に嫌いな人じゃない。むしろ祝いたい気持ちもある。でも、そのすぐ後に自分の日常──コンビニで買ったサラダチキンを食べながらYouTubeを見ている夜──を振り返って、なんだか心がしぼむ。
このメカニズムは心理学で「社会的比較」と呼ばれていて、人間は古来から自分の立ち位置を確認するために周囲と比較する生き物でした。ただ、かつては比較対象がせいぜい数十人の範囲だった。今はタイムラインを一度スクロールしただけで、数百人のハイライトシーンが目に飛び込んでくる。脳が処理しきれない量の比較情報が、毎日のように流し込まれているわけです。
リモラボの同じ調査では、67.8%の人が「他者の投稿を見ることで自己肯定感が下がった経験がある」と答えています。(自己肯定感が低いのは性格タイプのせい? という記事でも解説しています)
ここが残酷なところです。SNSは「他者のハイライトだけを集めた展示会」であって、その裏にある不安や孤独や迷いは画面に映りません。映っているのは完成品だけなのに、私たちは「自分の泥臭い下書き段階」と「他人の華麗な完成品」を並べて比較してしまう。
あるクリニックの精神科医は、特にInstagramを利用する若い女性が承認欲求だけでは説明できないほどの強い衝動で投稿を続ける現状を分析していました。それは単に自分を良く見せたいという意識的な行動ではなく、人類がかつて共同体の中で同じであることを本能的に求めてきた深層心理が、SNS上で暴走しているのだと。
他者のポジティブな投稿を見ると一時的にドーパミンが出ますが、すぐに消えて、自分は何もないという虚しさが残る。快感と虚無のシーソーが、毎日何十回も繰り返されます。
外側の評価が壊れるとき
いいねベースの自己肯定感には、致命的な弱点があります。
それは、「他人がいつでも与えるのをやめられる」ということです。
アルゴリズムが変わって表示回数が減ることもある。フォロワーが離れることもある。投稿のタイミングが悪くて全然伸びないこともある。自分は何も変わっていないのに、外部からの評価だけが勝手に上下する。その波に乗って自己肯定感も一緒に揺れる。
恋愛に例えるとわかりやすいかもしれません。自分のことを好きでいてくれる相手がいるうちは機嫌がいいのに、ちょっと連絡が減ると途端に不安になるタイプの愛し方。それは愛されている実感ではなくて、愛されていることへの「依存」です。
いいねも同じ構造を持っています。評価されている自分は安心できるけれど、評価されていない自分は存在価値がないように感じてしまう。
SNS疲れの表れ方は性格タイプによってまったく違います。内向型は情報量そのものに圧倒されやすいし、感情型は他者の感情を無意識に拾って消耗する。でも共通しているのは、外部の評価に自分の軸を預けてしまっているという構造です。
内側に軸を置く練習
ここからは、じゃあどうすればいいのか、という話をしたいと思います。 ただし、SNSをやめろとか、デジタルデトックスしろ、なんていう雑なアドバイスをするつもりはありません。SNSは現代のインフラであり、やめること自体がストレスになる場合だってある。20代の生活からSNSを完全に切り離すのは、コンビニのない街で暮らすようなものです。
大事なのは、やめることではなく、「軸を移す」ことです。
まず試してほしいのは、誰にも見せない日記を書くこと。スマホのメモ帳でも、100円のノートでもいいです。いいねがつかない場所で、自分の言葉を出してみる。
これをやると、最初はびっくりするほど書けません。誰かに見せることを前提としない文章を書く筋力が、驚くほど衰えているからです。何を書けばいいかわからなくて、3行で手が止まる。でもそれでいい。3日も続ければ、少しずつ自分の中から言葉が出てきます。それは加工もフィルターもかかっていない、生の自分の声です。
その声が最初は頼りなくて、つまらないものに思えるかもしれません。でもそれが本物なんです。キラキラした投稿に慣れた目には物足りないかもしれないけれど、その地味な言葉の中にこそ、あなたが本当に考えていることが眠っている。
そしてもう一つ。自分の価値をいいねではなく、「自分だけが知っている瞬間」で測る癖をつけること。
たとえば、仕事で誰にも気づかれなかったけれど地味に工夫したこと。友だちに送ったメッセージで、相手が少しだけ笑ったこと。誰にも言わなかったけれど、夕方の空がきれいだと思って立ち止まった3秒間。雨の朝、傘を忘れた人にさりげなく傘を差し出したこと。
そういう瞬間を、いいねの代わりに自分に贈るんです。
投稿しなくても存在している自分。誰にも見せなくても感じている美しさ。それを自分で認められるようになったとき、いいねの数字はただの数字に戻ります。
数字から離れた場所で
米国で行われたコホート研究では、18歳から24歳の若年成人が1週間のSNSデトックスを行った結果、不安症状が16.1%、うつ症状が24.8%、不眠症状が14.5%減少したという報告があります。たった1週間で、です。
このデータが示しているのは、SNSそのものが悪ではなく、その使い方と距離感が心の健康を大きく左右するということです。
ある研究者はこう言っています。「SNSにおける数値化された評価は無言の圧力として機能する」と。
本当にその通りだと思います。いいねの数は、あなたの価値を測る物差しではありません。あるアルゴリズムが、あるタイミングで、あるユーザーに表示したかどうかの結果でしかない。そこにあなたの人間としての価値は1ミリも含まれていません。
でも、「頭ではわかっていても心が追いつかないんだよね」と思っている人がいるとしたら、その感覚は正しい。なぜなら、何に心が反応し、何に傷つきやすく、何を大切だと感じるかは、人によって全然違うからです。
自己肯定感の上がり方も下がり方も、あなたの心の設計図によって異なります。いいねに弱い人もいれば、まったく気にしないで済む人もいる。それは強い弱いではなく、脳の仕様の違いです。
感情を司る機能が強い人は他者の感情に巻き込まれやすく、直感が強い人は深読みをして勝手に傷つく。思考型の人はデータ的に割り切れるけれど、感情型の人にはそれができない。
大切なのは、自分の「仕様(OS)」を知ること。自分がどういう刺激に反応しやすくて、何に安心を感じるのかを知ること。それさえわかれば、SNSとの距離感も、自分との付き合い方も、もっと楽になります。
いいねの数は、明日には忘れます。100ついた投稿より、1年前に何を投稿したかすら覚えていない。でも、自分の内側から湧いてくる「これでいい」という感覚は、誰にも奪えません。
その感覚を手に入れるために、まずは 自分の心の設計図(タイプ) を覗いてみてください。あなたが何に反応して、何を求めて、何を怖がっているのか。それを知ることが、いいねの呪縛を外す最初の一歩になるはずだから。
※本記事は自己分析のフレームワークであり、医療的アドバイスではありません。
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この記事を書いた人
塚田 崇博
Aqsh株式会社 代表取締役
人材業界23年、累計1万人超の面談経験を持つ。ソシオニクス・エニアグラム・ソーシャルスタイル等の性格類型学に精通し、採用・育成・定着を一気通貫で支援。
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